« 斎藤美奈子『物は言いよう』 | トップページ | 左サイドが… »

2004/12/16

実家がなくなった

というか正確にいうと、おがんの生家がなくなった。雪深い不便なところに住んでいた父母が、歳もとったし、いい加減雪と格闘するのにギブアップして、県庁所在地の駅前の便利なところにマンション買って引っ越してしまったのである。今度帰省する時は見知らぬマンションに帰ることになる。
高校を出て東京に出てくるまで引っ越したことがなかったわけだが、生まれ育った家がなくなるということが、これほど喪失感を伴うものだとは知らなかった。あの家のあの柱、あの匂い、玄関の佇まいも、もうないのだ。転勤などで引っ越し慣れしている人からみたらナイーブ過ぎる反応かも知れないけど。

|

« 斎藤美奈子『物は言いよう』 | トップページ | 左サイドが… »

コメント

オイラも9年ほど前に,古くなった実家(築百年)の建て替えがあったんだけど,壊す時は涙ボロボロ,自宅に戻ってからも布団の中で涙ボロボロでしたよ.400年ほど同じ所に居住しているという超土着な家系のせいかもしれませんけどね...本当に予想以上の喪失感でした.

投稿: Bob | 2004/12/16 16:41

Bobさんどうもです。
築百年すごーい。うちは市営住宅の払い下げでボロ家でしたが、それでもやっぱりねえ。解体は来年になると思いますが、見たくないですね…。

投稿: おがん | 2004/12/16 18:15

 ウチはこの秋、実家の庭にあった私と同じ歳ぐらいの柿の木を切ってしまいました。家ほどではないでしょうけど、やっぱり喪失感が・・・。
 子供の頃は登ったりして遊んでたしなぁ。

 来年からはしばらく旨い柿が喰えないってのも喪失感の元かも(^_^;)。

投稿: こばりん | 2004/12/17 00:16

それで思い出したけど、近所の桜の木が、そこの家の建て替に伴って切り倒されていました。毎春、花が咲くのを楽しみにしていたのでショックでした。ほら、木ってわりと擬人化しやすいし。

投稿: おがん | 2004/12/17 01:55

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 実家がなくなった:

« 斎藤美奈子『物は言いよう』 | トップページ | 左サイドが… »